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脱サラIT社長が起業する話〜日常編

プログラミング知識0からIT企業を起業してしまった人間が日々の日常を気ままに書いてます。

物質的豊かさから人類は解放されるか。。。

Facebookでシェアされていた下記の記事を読んでみました。

 

toyokeizai.net

 

インタビューを受けられている猪子さんはTeam-LaboのCEOで有名な方ですね。先日もプロフェッショナル仕事の流儀で取り上げられていました。なぜ改めてこの記事を読んだかというと、この記事のタイトルに少し違和感を感じたからなんです。。。

 

「物質的な豊かさから人間は解放されるべきだ」という意見を聞くと、一見高尚な意見のように感じ、そうあるべきだよなあと感じてしまいませんか。「大量生産・大量消費の世の中は環境にも悪い」とか、「物質的な豊かさではなく人類は愛を求めるべきだ」などといった意見は世間的もウケがよさそうです。

 

でも、私は必ずしもそうは思わないんですよね。。。

 

話が少しそれてしまうかもしれませんが、以前職場で働いていた際に、南米のチリに出張で行くことがありました。そこでチリの人たちと会話をしている際に気づいたのですが、TOYOTAというブランドが決して市場シェアは高くないものの、日本の洗練されたブランドの一つとしてチリの方たちに認識されていました。当時、私はTOYOTAグループの商社に勤めていたので、TOYOTAというブランドが地球の裏側で浸透しているという事実に誇りを感じたのを今でも覚えています。

そしてこの時、私の記憶に蘇ったのは、freetelという会社(日本発の携帯メーカー)の増田さんという社長の方が仰っていた、「モノはブランドになる」という言葉でした。

 

何が言いたいかというと、我々人間はどういうわけか、物質的存在にブランド価値をより感じてしまうという習性があるのではないかということです。NTTドコモソフトバンクの携帯サービスそのものよりも、AppleiPhoneSamsungのGalaxyといった端末そのものにブランドを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 

物質的存在は私たち人間が五感(視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚)で感じることができますが、非物質的存在を感じることはできません。ブランド価値は一種の価値ですから、それを我々人間が「感じる」限り、そこに「感」動が含まれていると思うのです。「感」が「動」くで「感動」ですからね。

 

人間自身が物質でできていることを考えると、我々人間が物質的豊かさを求め、そこに価値を感じてしまうこと自体、否定すべきではないかなあと思う今日この頃です。